大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和31年(オ)325号 判決 1956年10月12日

新潟県北魚沼郡堀之内町

上告人

中村亦一郎

右訴訟代理人弁護士

猪俣浩三

吉田米蔵

新潟市 新潟県庁内

被上告人

新潟県選挙管理委員会

右代表者委員長

笹川加津恵

右指定代理人書記

古木稠

右当事者間の町議会議員当選無効裁決取消請求事件について、東京高等裁判所が昭和三一年二月一四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があり被上告人は上告棄却の判決を求めた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人猪俣浩三、同吉田米蔵の上告理由第一点について。

所論の各点につき記録を精査し諸般の点を勘案して、原判決の判断は結局相当と認められるから、論旨は採用し難い。

同第二点について。

所論は、原審における被上告委員会の指定代理人古木稠の訴訟代理権限のない旨を主張する。

しかし、普通地方公共団体における選挙管理委員会の委員長は当該委員会の代表者であり(地方自治法一八七条二項)、委員長はその権限に属する事務の一部を当該委員会の吏員に委任し、または臨時に代理せしめることができるのであつて(同一九三条一五三条一項)、いわゆる訴訟における指定代理人の選任は本条に基づくものと解すべきである。弁護士たる訴訟代理人の場合は別として、所論の如く、訴訟行為は委員長に限るとするときは、ために委員長としての本来の職務の遂行に支障を来すべく、他面選挙事件の訴訟事務及び訴訟行為の遂行は、むしろ当該委員会の吏員をしてこれに当らしめる方が、より効率的でもあると考えられるのである。所論地方自治法には、昭和二二年法律一九四号(国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律)二条の如き、所部の職員または当該行政庁の職員に「その訴訟を行わせることができる」と同旨の語句が規定されていないということの一事をもつて、地方自治法はいわゆる指定代理を禁止しておるものと即断することはできない。所論はひつきよう独自の見解であつて賛同することができない。そして記録によると原審における被上告委員会の指定代理人古木稠は、同委員会の書記であること「訴訟指定代理状」によつて明らかであるから、論旨は理由がない。

よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 池田克)

昭和三一年(オ)第三二五号

上告人 中村亦一郎

被上告人 新潟県選挙管理委員会

上告代理人猪俣浩三、同吉田米蔵の上告理由

第一点 原判決には法令の違背があり、かつその違背は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

原判決は、公職の選挙における投票の有効無効を決するについて、「公職選挙法第六十八条に、投票の無効を規定する所以のものは、選挙人の意思を忖度しがたいか、又は、投票の秘密保持上、支障を来し、選挙の自由公正を害する虞を生ずべきことを避けるにあつて、かゝる虞なき投票はできる限り、これを有効とすべきことが、選挙制度本来の趣旨であり、すべての選挙を基調とする代表者民主主義の根本理念に合致するものというべきである。」と論じた後、「○正」、「カジ」「中村鍛治」、「渡辺忠」、「中正」なる各投票は、訴外渡辺正に対する投票としていづれも有効であると判断している。

「すべての選挙を基調とする代表者民主主義の根本理念」からすれば、投票はできる限り有効だとすべきであること原判決の通りであるが、それは、あくまでも、選挙人の意思を投票自体からして認識しうること及び選挙の自由公正を害する虞がないことが最低の要件であり、投票を不当に有効視することは厳につつしまなければならない。然るに原判決は、以下に詳記するごとく、投票を不当に有効視する見解の下に、法令の解釈を誤り、ひいて判決をも誤らせたものである。

(一) 「○正」なる記載の投票について

原判決は、訴外渡辺正の通称は「丸正」であつたことを認定した後、「「○」は通常「丸」「まる」と呼ばれること」、「○正」なる記載の「「○」と「正」とが、その筆跡からして鉛筆の濃淡、大きさ、ほとんど同様で、その配列も普通文字を続けて記載するに等しいことを理由として、「○」は「まる」という語音を表わす趣旨で記載されたものと解すべく、「○正」なる記載の投票は有意の他事記載ではなく有効であるとしている。

然し乍ら、左記の事由により、「○正」なる投票は無効である。

(1) 「○」が通常「丸」「まる」と呼ばれることは原判決の通りであるが、「○」は、本来、記号、附号であり、文字ではない。記号、附号はなんらかの呼称を有することが通例であつて、なんら異とするに足らないが、だからといつて直ちに、その記号、附号をその呼称を示す文字と同一視することはできない。けだし、然らざれば、公職選挙法第四十六条、第四十七条が、投票の記載には文字と点字とをもつてなすべしとした制約の趣旨を没却するのみならず、同法第六十八条第五号が他事記載を禁じた趣旨にも反するのである。原審における訴状請求原因第五項(2)後段記載の如く、法が「公職の候補者の氏名の外、他事を記載したもの」を無効原因の一と規定したのも、結局は、投票用紙の記載により選挙人の何人なるかを推認しうることを不可能ならしめ、もつて憲法上保障された投票の秘密を実質的に保護し、選挙の自由公正を確保せんがためである。然るに、原判決の如く、「正」の上部に「○」を附した記載の投票を有効だとすれば、選挙人及び特定の候補者に投票せしめようとする者が、投票前にあらかじめ謀つて、投票用紙に、特定候補者の氏名又は氏、若しくは名の上部に「○」その他の記号を附することにすれば、事前に謀議した者の員数と現実に「○」印等の記号の附せられた投票数とを比較することにより、謀議の具体的効果を知りうることとなる。特に、本件の如く、所謂、義理人情を偏重し、因襲深き田舎の町の小さな選挙区における選挙においては、どの選挙人はどの候補者の支持者ないし、その同調者であるかが、血縁関係、地域関係及び平常の言動からして大略推測できる(所謂票読みの実態である)場合が多く、どの候補者に投票するかが事前に推測できない選挙人の数は極めて少ないのが通例である。そして更に、開票区が甚だ小さいこと、開票には、各候補者の有力支持者が開票立会人として立会うのが通例であること等をも併せ考えるならば、この少数の去就不明の者をして、特定候補者に投票せしめるため、投票用紙に「○」等の記号を附せしめることは、特定候補者に投票したか否かの具体的結果を知るに甚だ便利確実にして、事実、往々にして、現実に行われるところであり、むしろ周知の事実とでも云うべきである。してみれば、事前の謀議に従ひ、投票用紙に「○」等の記号を附して投票した選挙人は、実質上、自己の氏名を記載して投票したに同じく、選挙における投票の秘密は全く失われるものといわざるを得ない。

選挙による民主主義政治を基本とする現憲法下において、投票はできる限り有効視するべきであるとの原判決も一面の真理を含むものではあるが、およそ、選挙に関する事項は法律に任せた憲法(第四十七条)が、「投票の秘密は、これを侵してはならない」と特に明定した(第十五条第四項)ことからしても、投票の有効無効を決するにあたつては、投票の秘密が実質的にも保護されているか否かを最も重要視しなければならない。そして、「○」印の附せられた投票は、前記の如く、投票の秘密を侵すものにして有意の記載であるから、公職選挙法第六十八条第五号に該当し、無効のものと言わなければならない。然るに、原判決は慢然「○正」なる投票を有効としたのであるから、同法同条同号に違背するものである。

(2) 原判決の如く、「「○」と「正」とがその筆跡からして鉛筆の濃淡、大きさほとんど同様でその配列も普通文字を続けて記載するに等し」いから、「「○正」と記載することによつて、選挙人が渡辺正に投票しようとする意思以外の特別の意図あるものとは到底認められない」と断定するのは、あまりにも単純な皮相の見解といわなければならない。

もし、原判決の見解が我が国の裁判所を支配するならば、前示(1)記載の如く、「○」印を附すべく事前に謀議した選挙人は、投票用紙に記載するに際し、鉛筆の濃淡、大きさ、配列に注意し、「正」なる文字と同様に記載しさえすれば、投票前、いかに謀議しようとも、又、いかに選挙の秘密及び公正が害されようとも、特別の意図なしとして有効投票となり、裁判所に是認されるのである。甚だ簡単容易な脱法行為であり、事前の謀議者は、裁判所の皮相な見解を嘲笑し利用するであらう。かかる不当な結果を招来するのであるから、原判決の見解は誤れるものというべく、「特別の意図あるものとは到底認められない」との断定は、理由がない。原判決は、この誤れる断定を基とし、「○」は「まる」という語音を表わす趣旨で記載されたものと解して「○正」なる記載の投票を有効としたのであるから誤れるものであり、理由を欠く違法なものである。

(二) 「渡辺忠」なる記載の投票について

原判決は、「「忠」は「ただし」と訓読し、渡辺正の「正」もまた「ただし」と訓読することは特に説明を要しないところ」であり、他の立候補者中、「わたなべ」と呼称される氏を有する渡辺貞一、渡辺貞吉、渡辺万作は、いづれも二字名であり、一字名は渡辺正より外ないから、「正」と記載すべきを記憶違又は誤記により同音の「忠」と記載したものと認め、「渡辺忠」なる記載の投票は、「渡辺正」に対する投票として有効であると判示している。

然しながら、「忠」を「ただし」と訓読しうることは原判決の通りであるが、決して、原判決の如く、「特に説明を要しない」ほど明瞭なことではない。

投票の有効無効は、投票の記載自体を客観的に判断して決すべきであるが、「客観的に判断」するということは、社会一般人の学識を基準にして、社会一般人はいかなる判断をなすであらうかとの見地から判断することであり、裁判官の学識を基準として判断することではない。

裁判官は、現今、最も合格が困難とされる司法試験に合格した後、司法研修所の過程を経て任命されるのであり、更に、高等裁判所の裁判官は、多年、裁判官等の法曹の経験を有する者の中から任命されるのであるから、現在の日本国において、最高の学識と良識とを有するものであり、且つ、このことは特に説明するまでもなく公知の事実である。然るに、社会一般人は、裁判官に比し、学識が相当劣るのが通例であり、国語を読んだり書いたりする能力も相当劣るのである。この傾向は、選挙権の有権者の過半数を占める農村においては、特に然りといわなければならない。そして、この一般人の国語の読み書き能力においては、「忠」を「ただし」と読むことは必ずしも容易でなく、むしろ「忠」一字の場合に「ただし」と読み得ない者が多いのである。文部省の附属機関たる国語審議会設定の「当用漢字音訓表」によれば、「忠」の読み方については、「チユー」なる音読のみを認めているに止まり、「ただし」なる訓読は認めていないのであり、且つ、このことは周知の事実である。この「当用漢字音訓表」によるも、社会一般人は必ずしも「忠」を「ただし」と読み得ないとの右主張は明らかである。

然るに、原判決は、右の経験則に違反し、僅かに裁判官三名の学識を基として「忠」を「ただし」と訓読することは「特に説明を要しない」と速断したのであつて、経験則に違背する違法なものといわなければならない。

(三) 「中正」なる記載の投票について

原判決は、訴外渡辺正は堀之内町において「中村」と居部落の名をもつて呼称されている事実を認定した上、「中正」なる投票は、「選挙人が渡辺正に投票しようとする意思をもつて、その居部落「中村」の「中」をとり渡辺正の名「正」をとつて「中正」と記載したものであることが窺われ」るとし、渡辺正に対する投票として有効であるとしている。

然しながら、左記の事由により、「中正」なる投票は無効である。

(1) 投票の有効無効は、投票の記載自体から判断すべきであつて、他の事情に基く予断により判断してはならない。

渡辺正の住居が「中村」部落であるからといつて、「中」を「中村」の意の「中」であるとすることは、あまりにもうがちすぎた見解であつて、予断偏見に基く牽強附会の論といわなければならない。「中」を「中村」の意と解することは、社会一般人の見地から客観的に判断すれば、経験上、容易に首肯し得ないところであつて、吾人の経験則に違背する違法なものといわなければならない。

(2) 仮りに、「中」が「中村」の意であるとしても、上告人(原告)も又「中村」なる氏を有するのであるから、「中村」は、「中村」部落転じて渡辺正の呼称とも理解できる反面、上告人の氏とも理解できるのであつて、結局、渡辺正と上告人のいづれに投票したのか吾人の経験則上識別し得ないものである。従つて、「中正」なる記載の投票は、公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いものであり、無効投票である。然るに、原判決は、慢然、「中正」なる投票を渡辺正に対する投票として有効としたのであるから、公職選挙法第六十八条第七号に違背するものである。

右の如く、原判決は、法令に違背し、渡辺正に対する無効投票を有効とした違法があるのであり、且つ、その違法がなかつたならば、「○正」、「渡辺忠」「中正」なる記載の投票は無効となり、渡辺正の有効得票数は百六十六票となり、上告人の有効得票数より少くなる。従つて、原判決は当然異なる結果となるのであるから判決に影響を及ぼすことが明らかであるというべく、原判決は破棄を免れない。又、右と異なる見解の下に上告人の当選を取消した被上告人の裁決も取消されるべきである。

第二点 原審において被上告人(被告)は適法な訴訟代理権を有する者によつて代理されなかつたから、原判決は破棄を免れない。

原審において、被上告人(被告)は第一回弁論期日において代表者委員長笹川加津恵を出頭せしめたが、第二回の弁論期日以后においては、古木稠をして出頭せしめたにすぎない。

古木稠は、被上告人の指定代理人として出頭し、訴訟を維持しているが、左の理由により、適法な代理権を有しないものである。

被上告人が古本稠を指定代理人として訴訟を進行させたのは、その根拠は必ずしも明白でないがおそらくは、地方自治法第百九十三条、第百五十三条において「その権限に属する事務の一部を当該地方公共団体の吏員に委任し、又はこれをして臨時に代理させることができる」と規定してあることによるものと思われる。

然しながら

(1) 国の場合においては、「国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律」(昭和二十二年法律第百九十四号)第二条第一項において、法務大臣は、所部の職員でその指定するものに訴訟を行わせることができると明定しているのに、地方公共団体の場合については、右と同趣旨の法律の規定はないから反対に解すべきである。

(2) 商人の支配人については、商法第三十八条第一項において、支配人は、一切の「裁判上」又は裁判外の行為を為すことを得る旨明定しているが、前示地方自治法においては、「裁判上」の行為については、地方公共団体の吏員は代理権がないと解すべきである。

(3) 民事訴訟法第七十九条は、簡易裁判所以外の裁判所においては、弁護士以外の者は訴訟代理人たりえない旨明定している。尤も、法令によつて裁判上の行為をなしうる者は、この限りでないが、地方公共団体の吏員等は、右(1)(2)記才の如く、法令によつて裁判上の行為をなしうる者でないから、訴訟代理人となり得ない。

よつて、地方公共団体たる新潟県選挙管理委員会の書記たる古木稠は、被上告人の訴訟の代理人となりえないものである。尤も、吏員等に訴訟代理権を認めた見解もあり得るが、特に前示国の場合と比較して、理由がない。前示地方自治法の規定からして、吏員等に代理権を認めようとするのは、前示(1)の如き法律(昭和二十二年法律第百九十四号)が地方公共団体については立法されていない不備を解釈によつて不当に拡張しておぎなおうとするものであつて、解釈権の限界を超える違法なものである。

以上

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